[うきはWEB 感動とやすらぎ]うきは市観光体験ホームページ TOPへ

観光情報検索

TOP ≫ 観光情報検索

ジャンル : 

季節 : 

キーワード : 


img検索結果: 合計79件見つかりました、73件目~79件目を表示 <1234567>

若宮八幡神社

若宮八幡神社

「若宮八幡神社」は、五穀豊穣の御利益で知られるお宮で、仁平3年(1153年)に源為朝(みなもとのためとも)が現在の神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(日本三大八幡宮のひとつ)を分霊し創建されたと伝えられています。境内には樹齢数百年の情緒豊かなカヤの木や、江戸時代に地元の豪商から寄進を受けた青銅製の狛犬と灯篭など見どころも多くあります。毎年10月17日・18日に行われる伝統行事"吉井おくんち"の舞台としても親しまれており、期間中は“サー、ヨーイヤセー”など伸びやかなかけ声とともに武者や稚児行列が町内を練り歩き、露店も立ち並ぶなど、多くの観光客で賑わいます。

長野水神社(五霊社)

長野水神社(五霊社)

江戸時代、寛文3年(1663年)の大干ばつを機に、山下助左衛門をはじめ、五人の庄屋が筑後川が流れる大石地区に堰を造り、掘割を掘って水を引く開削※工事を久留米藩に申し出ましたが、筑後川を利用した用水路開削工事は難事業であるため、藩からの許可はなかなか下りませんでした。五人の庄屋は失敗したら処刑になる覚悟で請願書を提出し、この難工事に着手して寛文4年(1664年)3月完成に至りました。この偉業をたたえて五人の庄屋を祀ったのが長野水神社(五霊社)です。4月8日の春の大祭には、小学生による「浦安の舞」が奉納され、露店も出店し、現在も五庄屋の恩恵を受けている多くの人々が参拝に訪れます。また、長野水神社は桜の名所で、シーズンには花見客でにぎわいます。 創建年代 :1661年~1673年 ※開削・・・土地を切り開いて道路や運河などを通すこと

素盞嗚神社

素盞嗚神社

素盞嗚(すさのお)神社は、通常「祇園さま」の名前で親しまれている神社です。町中にあったご神体を大火災の宝暦13年(1763年)現在地に素戔嗚神社を祀った、もしくは当時この地は町の鬼門にあたり、魔除けとして荒神である素盞嗚神を祀ったと言われています。吉井祇園は明治初期に、天領日田の祇園囃子が伝授されたもので、明治にかけて町民がこぞって祭礼に参加したといわれています。第2次大戦中は休止しましたが、昭和30年頃から復活し、現在に至ります。以前は7月17~18日に実施されていましたが、現在は7月21~22日の両日に実施。毎年3ケ所に高さ10メートルあまりの勇壮華麗な山笠が建ち、多くの人々が祇園囃子の調べに誘われて夏の夜の涼を楽しみます。

清光禅寺

清光禅寺

南新川沿いに足をのばすと、うっそうとした樹木と苔の庭が広がる清光禅寺がある。街中の喧噪を忘れる静寂の空間で、特に秋の紅葉は必見。川沿いまでも苔に覆われ、新緑の季節は水鏡に緑が映り込み美しい。

清水禅寺

清水禅寺

臨済宗古刹。建長元年(1249年)、常陸国の出身、日用比丘(ひようひこ)という僧が各地を遍歴して浮羽に入りました。たまたま観音山に詣ったところ、庭園や木々が美しく、まるで桃源郷のようなこの土地を愛し、ついに自ら茅屋を結んで、閑居すること数年、地元の人がその徳行の非凡なことをみて大変尊敬し、比丘のために競って浄財を喜捨し、たちまちにして寺院ができたといいます。ときの領主、大蔵隆真は立派な田を9段あまり寄進し、寺院としての基礎ができました。天正7年(1579年)大友の兵火をこうむって一時衰退しましたが、寛文8年(1668年)久留米梅林寺第二世澤雲和尚の高弟休岳和尚が入山して再興しました。 境内にある、こんこんと湧き出る湧水は「清水湧水」と呼ばれており、昔から飲料水や生活用水、農業用水として利用され、地域住民の生活を支えてきた貴重な命の水として大事にされてきました。湧水量は1日あたり700tで水量は1年中安定しており、水温17℃、無色透明、無味無臭でPH7・8度のきわめて良質の湧水です。日本名水百選にも選ばれています。 ※清水湧水を汲むのは無料ですが、整備費のため100円以上の寄付をお願いします。

本佛寺

本佛寺

本佛寺は、仏教への弾圧が激しかった明治維新の後、日蓮宗の再建に生涯を尽くしたとされる高僧 新居日薩(あらいにっさつ)によって創建されました。31000坪の広々とした境内には神仏をお祀りする11のお堂があり、九州での中心的な霊場と言われています。本殿には菅原道真公の窮地を救ったとされる"河童の手"が社宝として安置されています。 毎年7月下旬に行われ、60年以上の続いている子ども向けの林間学校も広く知られています。毎年"やさしさ""命の大切さ"などテーマが決められ、二泊三日で寝食を共にして、子どもたちの心のつながりや礼への意識(いしき)、また思い出づくりにと貢献されています。

大生寺

大生寺

大生寺は、奈良時代前半に行基が道場を開いたのが始まりと伝えられています。782年五台山大聖寺として勅願寺※となり大いに栄えましたが、その後衰え1391年曹洞宗の無箸禅師によって再興されましたが、盛衰を経て1648年、久留米藩主の支援によって臨済宗の寺として復興しています。 大生寺大雄宝殿は、仏殿は5間半4方(約98平方メートル)、本尊薬師如来は行基菩薩の作といわれており、貞亨4年(1687)博多聖福寺より移築された建物です。殿内に安置されている頭尊者木像は日本にある三体の内の一つといわれています。 ※勅願寺(ちょくがんじ)・・・時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。寺格の一つ。

img検索結果:合計79件見つかりました、73件目~79件目を表示 <1234567>


ページの先頭へ